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2009 11 11


国家の委嘱事業の、アルバイトの説明会に出てきました。
平たく言えば日本語能力を測るための会話データのチェック、という感じのようですが
そのデータは近い将来、政府の外国人受け入れ政策で
日本へ移民するかもしれない外国人のためのもののようです。
不確定要素が多過ぎますが。さり気なく衝撃的ですよね。

外国人を自国に受け入れるとは、実際のところどういうことなのでしょうか。
フランスの移民問題、外国人参政権論争、ネット上で横行する差別発言、
何となく自分の中で思い描かれるのがイメージがマイナスなものばかりな気がして気になります。
明確に自分の意見を持つことを先延ばしにしてきたたくさんの事柄の中の一つ。
良い機会なので少し勉強してみようと思います。成人して選挙権を持つ前に。



自分ではすごく面白く感じることをについて他人はそうも思わないと知ったとき
それが自分が特別に興味を持っている対象なのだと自覚します。
ゲームをしながらの会話だとか、ある単語の使われ方とか、チャットでの会話とか。
社会言語学か比較言語学か言語心理学か、興味の幅がもはや言語言語しています。

オーストラリア人と数時間ゆるくチャットをしていたのですが
スペイン語が出来る英語ネイティブ(日本語勉強中)なので、
私がイタリア語で発言して彼が日本語で答えるという会話をやってみました。

何ていうか、日本語を教えるのってすごく難しいですね。
「omoroisen」を訂正して正しく理解してもらうのがこんなに大変だとは。
多分「omoshirokuarimasen,omoshirokunai」ということをカジュアルに言いたいんだけど
omoshiroiは形容詞で、じゃあarimasenは何であるのか、どれが動詞なのか
omoshirokuは副詞としても使えるし……
そもそも「面白い」のニュアンスを伝えるのが難しい。
「面白い」だとinterestingに近いけど「おもろい」はfunny寄り。

でも頑張ってほしい。日本語で話せたらきっと楽しい。




2009 11 09


今日はムシャクシャしていました。
近ごろ何となく人に流されて、
自分の意思で動くことが出来ていないことが多いことに気付いて。
しかし自分の意思に忠実に動いた場合「うるせーもう帰って寝る数日家から出ない」
という事態になりかねない自分は、他人の意見を聞くほうが確実に正解に近い。
すべての流れで他人と自分がwin-winになるように私にはもっとしっかりしてほしい。

夕方〜夜の時間に、久しぶりに部屋に一人で居ると何をすればいいのか分からない。




2009 11 06


今まで正直のところ理解出来なかった感情が、はじめて分かったような気がした
という意味で昨日は記念すべき日でした。

その感情というのは「○○が頑張っているから自分も頑張る」というもの。
とりわけ私の両親は昔からこの言葉をよく使った。
誰かが頑張っているからといって、
それが自分の頑張る理由になるということがどうも納得行かなかった。
私が頑張っているからってどうして両親が頑張れるんだろう、理解出来ない。

昨日ふと、私からは見えないところである人が頑張っている、ということを考えた。
嬉しい悲しいつらい寂しい腹立たしい何も考えられないやる気が出ない、といった
すべての人間らしい感情を抱えながら、その人は前向きに頑張っているのか。
そういうことを想像していたら、
なぜか何の根拠もなく、自分も頑張れるような気がした。
○○がある人であったからなのか、ある人とは誰であるのか
そこは御想像にお任せするとして、他人が頑張っているということが
自分のやる気の起爆剤になることを私は自分の中ではじめて自覚したのだ。

どうしてだろう。感情は経験したつもりだが、その理由が行方不明だ。
不思議な気分。



記号化された意味は分かっても、どこか自分にしっくりこない言葉というのは
経験していない感情であったり、使用する状況が現実にまれなものであったりするのだろうか。

日本語と対応しているようで対応していない他言語の言葉が
逆に日本語よりもしっくり、理解出来るように感じられることがあるのがなんか面白いと思う。
Distrust, Numbness, Identity とか。
同じように外国人が「侘び寂」や「ヤバイ」などといった日本語を
しっくり感じたりすることもあるのかもしれない。

 

「自分の身体は神様からの借り物だ」

というカトリック世界で当たり前とされている考え方が
イタリアで本当に当たり前とされていることを知って、(当たり前にもかかわらず)
地味に衝撃を受けた。それゆえ敬虔なキリスト教徒であってもなくても
変わらず自殺は最大の罪であり、皆が常識的にそう考え、畏れるらしい。
(それほど国自体がキリスト教と切っても切れない関係にある
ということはとりあえず置いておくとして)
この考え方は本当に日本とは違うものだと感じる。
こういう考え方をする人は日本にもたくさん居るだろうし
どこかの宗教も語っていた気がするけど、日本国民には根差していない。
そして私は理解出来ない。そういう意味で自殺が怖くない。
ミケランジェロの最後の審判の絵を見たところで思い留まったりしないだろう。

ミュージカル(映画)「RENT」において

We're not gonna pay
Last year's rent
This year's rent
Next year's rent
Rent rent rent rent rent
We're not gonna pay rent

'Cause everything is rent

という歌詞のくだりがある。

……。

つまり言いたいのは「自分の身体は神様からの借り物だ」という言葉を理解出来ない、
ということなのですが、「○○が頑張っているから自分も頑張る」という言葉のように
「自分の身体は神様からの借り物だ」も理解出来る日が来るかもしれないですね。
宗教に対する警戒心が半端ない私はとりあえず、
神様を信じるということについて少し考えてみたいと思います。

何か終わりが見えないので終わります。




2009 11 04


箱に穴が開いているのかと思った。向こう側の光が眩しく差し込んでいるみたい。
そんなふうに月がとても綺麗でした。昨夜は。

コートを出しました。ネパールカレーを食べました。






2009 11 03


中学〜高校くらいの時期に、お互いホームステイの受け入れをし合ったオーストラリア人が
この冬東京にやって来るというので、親に電話でそのことを話したのですが
当然彼が言ったことは英語で、私が親に伝えるのは日本語なため
簡単に訳すことが必要になります。ここで使う日本語がどの様であるべきなのか
引っかかりました。上手く訳そうとするとわざとらしい口語調になり、
簡潔に伝えようとすると言いたいことが伝わった気がしない。
結局その言葉の発せられた雰囲気を形容してお茶を濁す。

改めて身近に通訳の難しさを感じた夜でした。というか、通訳がどうこう言うよりも
私がもっとしっかり安定した方向性というか、性質というか、キャラクターなりを確立していたら
他人から他人へ、言いたいこと(情報)は私を通してでも正しく伝わる気がする。
上手く言えないが、打てば響くがあまりにもランダムな反応を見せる人は
通訳には向いていない気がする。いや、どうなんだろう。
そういう人と友達にはなりたいけど。一緒に美術館とか行きたい。


いかに不真面目な期間が続いているかを
聞かないで溜まった学習系Podcastの数が示している。
もっとしっかり安定した、真面目な性質が欲しいです。






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